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【巻頭言】 |
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【心理学ゼミナール】
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川上 真史 |
私は、ずっと前、「目標管理制度を導入し、社員が自分で自分の目標を設定すれば、それ自体が動機づけになる」「そのときに、目標はチャレンジングなものでなければならない」「目標は数値化することが大切である」といった内容を、目標管理制度について教えられたように記憶している。今でも、目標管理に関する研修では、同じことが言われ続けているのも確かである。
ところが、今現在、多くの企業が成果主義を取り入れるなかで、その中心となる制度として目標管理制度が相当数導入されている。どのような成果を生み出すのかに関する目標を設定し、その目標をどれくらい達成できたのかで評価するという方法である。確かにこれによって成果の大きさを測定し、その大きさに見合った処遇を支払うという構造は確立された。以前のように年齢が若いということで損をすることもかなり緩和されたのは間違いない。
しかし、それによって、私が以前習ったとおり、社員の人たちが、より活動的に動き、仕事を積極的に推進するようになっただろうか。むしろ、私には、動きが緩慢になり、おとなしくなっている社員が多くなったと感じられる。どうして、社員が自分で目標を設定し、取り組んでいるにもかかわらず、動機づけにはつながっていないのだろうか。
目標管理制度が動機づけにつながるという考え方は、「目標設定理論」から来ているものと思われる。かいつまんで、その理論内容を解説すると以下のようになる。
人間は目標を設定すると、それだけで動機づき、その目標を達成するための行動を起こそうとする。ただし、そのような動機づけが起こるためには、二つの要件が必要である。
@その目標は困難なものであること
Aその目標は具体的なものであること
困難な目標を設定すると、その目標と今の自分が置かれている現状とのギャップが生じ、そのギャップを埋めようとする行動が自動的に起こるということが@のポイントである。Aの具体的であることというのは、抽象的な目標だと、そのようなギャップが明確に見えなくなり、行動が起こらないということである。
例えば、「英語力をアップさせる」という目標を設定しても、現状との差異が何であるか全くわからない。当然、「アップさせる」ための行動というのも具体的なイメージが湧かず、行動に結びつくことはないだろう。ところが、「今日一日で、食べ物の名前に関する英単語を10語覚える」という目標であれば、極めて具体的であり、それを達成するための行動も起こりやすいはずだ。このように、高い目標を具体的に設定すれば、現状との差異を埋める行動を自主的に起こし始める、というのが目標設定理論の考え方である。
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図1/目標設定理論 |
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このように、心理学の研究でも、「目標を設定すれば人は動機づく」という結論を得ているにもかかわらず、なぜ目標管理制度を導入しても、社員は動機づかなかったのだろうか。その原因は「目標設定理論」と「目標管理制度」が言葉として似ているがゆえに、両者の間に密接な関係があると思い込んでしまったことにあるのではないだろうか。そもそも目標設定理論は、目標管理制度の効果を検証するために研究されたものではない。あくまでも、純粋な動機づけ理論なのである。したがって両者は全く関係のない考え方であり、特に、目標管理制度で言うところの「目標」と目標設定理論で言うところの「目標」は根本的に以下のように違うものである。
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図2/目標管理制度と目標設定理論 |
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つまり、目標管理制度での目標は、今期1年間かけて、何としてでも達成しなければならない成果を目標化し、その達成度は処遇に反映されるものである。ところが、目標設定理論では、人間は、無目的な行動をさせられてもやる気は起こらず、逆に「今やっている行動は何を達成するためのものか」が明確になると、その行動に意味を感じ、やりがいがでるという考え方なのである。また、クリアに目的をセットすれば、それを達成したかどうかが自分ではっきりとわかり、達成感も出やすいというものである。さらに大切なのは、目標達成までの期間は、長くても数日以内が基本で、数分や数時間のケースも多い(※)。
どうも、目標について考えるとき、この達成期間のポイントをもう少し議論することが大切なように思う。確かに、目標を設定すると、それを達成する行動を起こしたくなるのは間違いのない事実である。ただし、そのような気持ちはあまり長く続かないのではないか、ということだ。特に、目標管理制度のように、1年後に達成すべき目標を設定したときに、それによって1年間も動機づいた状態が続くというのはあり得ないだろう。どんなに長くても、数日間くらいではないだろうか。
むしろ、1年間の長期にわたって、達成しなければならない目標が存在し続けると、逆に、それがプレッシャーへと変わり、精神的な負担を増加させるのではないだろうか。また、「この目標を1年後に達成すれば、それなりの報酬を得られるかもしれない」と思っても、1年後にもらえる報酬イメージというものは、それほど現実味を帯びないだろう。それよりは、仕事を通じての達成感(つまり精神的な報酬)を日々感じられるほうが、より継続的に高いモラールを維持できる。結局は、いわゆる目標管理制度だけでは、成果の測定は可能だが、社員のモラールを高め続けることはできないのだ。
どんなに明確に目標を設定しても、その目標を達成しようとする意欲が出なければ意味がない。また、その目標に向けて、やる気をもって取り組むことができなければ、仕事は単なる苦役にしかすぎない。そこで重要になるのが「短期的な中間目標」である。おそらく、目標を設定することで動機づくのは短期間だけである。したがって、1年間の目標を設定したら、それを達成するために、今日は何を成果として生み出せればよいのか、明日の顧客訪問では、どのような結果になればよいのか、というように、一つずつの取り組みに関して、明確な成果をイメージするのである。
意外とこのような作業はされていないことが多い。「明日の顧客訪問では、相互理解を深めたい」「今日はできるだけ効率よく仕事を進めよう」などのように、漠然としたイメージだけで仕事を進めている場合がほとんどである。
このような側面からのプロセスマネジメントが、再度、重要なものとなってきている。一般的に、プロセスマネジメントというと「どのように取り組むのか」という手段、方法論のところだけが論じられる。これは管理者、経営者側だけの論理である。つまり、「社員、部下をどう動かすのか」を明確にし、指示をしやすくするということである。しかし、そのように手段、方法を明確にしても、そこに動機づけは起こらない。それを示されたからといって、社員、部下はそのとおりに動いてみたいとは思わないのである。
子供の教育でも同じである。例えばピアノで「チューリップ」を教えるときに、「『ドレミ ドレミ ソミレド レミレ』と弾きましょう。そのときに、ドレミは切れないように滑らかに弾き、最初のドレミよりも、2回目のドレミのほうを少し大きめに弾きましょう」と言われて、「ぜひ、そのとおりに弾いてみたい」と思う子供がいるだろうか。これが手段、方法論的な指示なのである。
ところが、こういう教え方がある。「じゃあ、今からチューリップを弾いてもらいますが、まず頭の中で、何色のチューリップかを思い浮かべてください。それが何色か先生にもわかるように弾いてみてください」と伝える。そうすると、子供はいろいろと考えて弾く。弾き終わったところで、先生が「今のは赤色のチューリップかな?」と答える。子供は「当たった」「違う」と言いながら、「じゃあ、もう一回やるよ」と自分で言い始め、次にさらに色が表現できるような弾き方を工夫し始める。こうやって、音楽的な表現力を身につけさせたほうが、将来においても、やる気をもってピアノを弾き続けるはずだ。
企業においても同じことである。プロセス論が重要になってきているのは間違いないが、そのときに手段方法論をクリアに規定しても、誰も動機づかないだろう。そうではなく、個々の作業単位において、その作業単位の成果イメージをクリアに示すようなプロセスマネジメントが必要なのである。そうすれば、動機づくだけでなく、それを達成するための工夫も生まれやすくなるのだ。1年間の長期間目標だと、なかなかこうはならないが、数日間で取り組むくらいの業務単位なら、十分に効果が出るはずである。
このようなことを実践するには、どうしてもきめ細かいマネジメントが重要となる。マネジャーが、日々、このような具体的な成果イメージを示してあげるということである。それによって、部下のモラールを維持し続けるのである。また、部下が担当する個々の業務に一つずつ成果イメージを設定していくと、部下だけでなくマネジャー自身も育つ。「そうか、この仕事の一番の目的は、ここにあるんだよな」と再確認することも多いだろう。結構な労力がかかるのは間違いないが、その労力に見合った効果が出てくるはずである。
「自分の部下には、手段、方法まできちんと伝えないと何もできない人がいる」という場合もあるだろう。確かに、短期での成果イメージを伝えても動機づかないで、そこまでの詳細な指示をしてあげないと動けない人がいるのも間違いない。しかし、そのような人はマネジャーとして労力をかけるべき対象者ではない。そのような人にこと細かく指示をする労力から回収できる結果と、成果イメージを伝えれば、そこで動機づき、自分で工夫して動く人に労力をかけて得られる結果では、回収率は後者のほうがはるかに高いはずである。
ところで、労力に関しては、もう一つの問題がある。このような成果のイメージは、部下に個別にセットしなければならないという点である。一般的には、チーム全体で目標をセットし、それを共有化すれば、チームワークが生まれ、協力して取り組むようになると言われているのだが、そうでもない側面がある。確かに、チームゴールは必要なのだが、それだけでは不十分で、そのチーム全体の目標を個々人の成果イメージに分解しておく必要がある。これをやるとなると、相当な労力がかかり、マネジャーの負担が高くなるのは間違いない。それでも、やはり個々人の目標が必要となる。
なぜチーム目標だけだとだめなのか。それは「社会的手抜き」という現象を説明するとわかりやすい。これも端的に言うと、「集団で何かに取り組もうとすると、メンバーの間に、無意識的な手抜きが起こる」というものである。この現象は次のような研究で発見されたものである。
綱引きの機械を作り、それを引っ張れば、何キロの力で引っ張ったかが測定できるようにする。5人の人に集まってもらって、それを一人ずつ、最大の力で引っ張ってもらい、全員の引っ張る力を確認する。次に5人一緒に、最大の力で引っ張ってもらう。普通に考えると、先に測定した一人ずつの力を合計した力で引っ張れるはずである。ところが、必ず、5人で引っ張ってもらうと、どんなチームを作っても、一定比率だけ、合計のsよりも弱い力になってしまう。
力が弱まる原因は二つ考えられる。一つは他の人が邪魔になって引っ張りづらくなり、個人の力が十分に発揮できない、という物理的な原因である。もう一つは「皆で引っ張っているのだから、自分一人くらい」という気持ちがいつのまにか働き、手を抜いてしまう、という心理的な原因である。
そこで、別の実験をやってみた。今度は「応援がどれくらいスポーツ選手の力を高めるかを測定する実験だ」と言って被験者を連れてくる。当然、本当の目的は手抜きが起こるかどうかの測定である。その被験者を、選手が見える防音室の中に入れ、「五つの防音室に一人ずつ入ってもらっています。では、順番に、あなたの一番大きな声を出して選手を応援してください」と依頼し、その声の大きさを測定する。本当は、一人しか被験者はいないのだが、他に4人いるような形を装っておく。次に、「では、次に、5人全員で一緒に応援してもらいます。他の人の声はお互いに聞こえませんが、選手にはすべてスピーカーから聞こえますから」と伝え、また最大の声を出してもらう。そうすると、やはり「一人で声を出している」と思って応援したときと、「5人で応援している」と思っていたときでは、5人と思っていたほうが、声が小さくなっていた。これで「社会的手抜き」という現象が確認されたのである。
結局、チーム全体で一つの目標を決め、皆で協力して取り組もうとしても、いつの間にか、このような社会的手抜きが起こる可能性がある。よく、わざわざ社外で合宿研修をしながら、「これから当社、あるいは当部門をどうすべきか」というようなテーマで議論している企業を見かける。結構、議論は盛り上がり、「よし、1年後には、こんな会社、部門になろう」という具体的な目標ができる。「では、このような会社、部門になることを目指して、皆それぞれ協力しながら取り組んでいこう」ということで研修が終わり、「研修は大成功だった」と思うのである。ところが、実際に1年後、そのような会社や部門に変わったという話は一度も聞いたことがない。
このように、皆で目標を共有するだけでは、どうしても社会的手抜きが起こるのである。「誰かが力を入れて、そのような会社に変えてくれるだろう」と全員がいつのまにか思ってしまうのである。また、このような社会的手抜きは意識的なものでないがゆえに、コントロールが難しい。意識的にやっている人がいるのであれば、厳しい指導もできるが、皆、意識上は「研修で決めたとおりの会社にすべきだと思っているし、そうなるために貢献したい」と思っている。ところが、本人も自分で気づかないうちに、手抜きをしてしまうというところに、コントロールの難しさがある。
さらに、1年後の目標を共有しても、長すぎて、誰も動機づいて取り組もうとはしない。やはり、そこに社会的手抜きを防止する方法を組み込んでおくことが重要である。この社会的手抜きを防ぐための方法は二つある。
@一人ずつの役割を明確に分担する。
A一人ずつの貢献を本人にフィードバックし続ける。
「皆で一緒に声を出して応援してください」と言うと社会的手抜きが起こるのだが、「Aさんは声を出してください、Bさんは旗を振ってください、Cさんは太鼓をたたいてください」というように役割を分担すると、社会的手抜きは起こらなくなるというのが@である。Aは、一緒に声を出して応援するにしても、音量計を前にセットし、常に自分の声の大きさを確認できるようにしておけば、声の大きさは下がらないというものである。
したがって、企業の中でも、「皆でこういう目標を目指して頑張ろう」というのを決めるのはよいが、その際に、その目標を目指して、一人ずつは何を役割として担当するのか(全員どこか違う役割であることが必要である)をクリアに決めておく必要がある。また、長期的な目標だと動機づけ効果が弱いので、その役割は、数日間で果たせるものであることも大切である。例えば、部門トータルでの目標を決める研修やミーティングを実施したとしたら、その研修が終わってから数日以内で達成する成果を、個々人の役割として設定しないと、実際の行動は起こらないのである。
さらに、そのような成果が実際に生み出されているかどうかについて、マネジャーは頻繁に確認し、本人が進捗を常に意識できる状態を作ることが求められる。それで数日間で達成すべき成果を生み出した人については、次の数日間での成果は何かをクリアに与えるということを繰り返していくことが大切だ。このように1年間を数日単位に切り取りつつ、一つずつの成果をクリアにし、達成することを繰り返しながら、最終的な目標が達成されるというのが実際のプロセスマネジメントである。
成果主義が浸透し、明確な成果イメージを目標化して、その達成度に応じて処遇が正確に配分されるようになった企業は多い。そのようなレベルに到達した企業は、次の課題として、今まで述べたようなプロセス・マネジメントが必要となる。ただ「達成できた・できなかった」ということを評価し処遇に結びつけるだけでなく、設定した目標の達成度を企業全体で高めていくマネジメントである。全員が目標達成できなかったが、その分、全員の給与も下げたので、企業としては大丈夫ということはないはずだ。やはり全員が目標以上の成果を達成するという状況が企業にとって理想であるはずだ。そろそろ多くの企業がその段階に進むべきだろう。そのためには、成果そのものの管理だけでなく、このようなプロセスでのきめ細かいマネジメントが求められることになる。当然、個々の管理者に、一つずつの業務において求める成果とは何かを、きちんと設定できる能力が求められる。それによって無駄な業務や意味のない取り組みを減らすと同時に、部下のやる気を高めることが要求されることになるだろう。
さらには、管理者がそのようなことをしなくても、自分で個々の業務の成果イメージをセットし、自分で自分を動機づけるようなセルフ・プロセス・マネジメントのできる社員を育てることも企業競争力を高める上で重要なポイントとなるだろう。
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