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【巻頭言】 |
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サムスンに学ぶ進化の秘訣
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河合 太介 |
「謙虚さ」。生き物である企業が、成長を持続できる一段高いバージョンの肉体へと、「進化」するために必要な要素を一つ挙げるとしたら、私はこの言葉を選ぶ。
自分を常に謙虚にとらえる。そして「他」に対して敬愛の気持ちを込めて接する。その姿勢から初めて素直に「学ぶ」という行為が生まれる。
日本企業がどこかに置き忘れてきた、謙虚な姿勢がもたらす進化の姿を韓国企業であるサムスングループに私は見た。
就職率が一流大学を出ても50%程度、通常の大学では10%程度の場合もある。これが現在の韓国の実情らしい。今、韓国経済は二つの顔をもつとされる。一つが、就職難に代表される雇用不安増大の顔。もう一つは、サムスン、現代自動車に代表される、グローバルレベルでトッププレーヤーの地位までのぼりつめた元気な大企業が存在する国としての顔である。明と暗がはっきり分かれたのが、現在の韓国の特徴である。なお、このことがもたらす政治的、社会的意味や課題は本論の筋とは異なるので割愛する。
華やかな顔の中でも特に異彩を放っているのがサムスンである。IMF以降のサムスン10年改革での飛躍的な成功物語は、今や多くの書物や雑誌で取り上げられるようになった。
マスコミで話題になるのは、サムスンの、一見派手な制度や動きである。例えば、海外のMBA留学生を何十人、何百人単位で採用をするとか、徹底した実力主義によって、若い経営者が何人もグループ企業で生まれているとかいった類の話である。
確かに、このとおりであり、こうした制度がサムスンを蘇らせたのは事実である。しかし、制度の形だけであれば、どこも真似をすることができる。大切なのは、こうした制度に血を通わせている、精神的な背景である。
韓国に行き、サムスンの人事、教育担当者・責任者や、工場の責任者らから話を聞き、彼らサムスンマンと時間を過ごすことで、一つ大きく感じ取ったものがある。それが、冒頭に述べた「謙虚さ」である。
こちらから、10年改革の成功を賞賛すると、彼らは決まって、「いやいやまだまだです。私たちは日本の先生(=企業)からたくさん学ばせていただきました。そしてまだまだ全然です。だから日本の先生たちにもっと先に進んで行ってもらい、私たちは、少しずつ後をついていきたいと思います」と答える。
これが謙遜の言葉であることくらいは誰にでもわかる。しかし、「腹にもないことを、ただ儀礼的に言っている」のか、「心の深いところで敬いの気持ちをもって言っている」のか、人間は「気」で察することができる。サムスンマンは誰しもが後者であった。つまり、真の謙虚な心を根本にして発せられた謙遜の言葉であったのである。
謙虚さというのは、儒学の基本精神たる「仁」の表れなのかもしれない。そして、儒学では、仁は心の中にあるものだから、相手に見えるように形で表現することの大切さも説いている。これが「礼」である。実際、滞在中、心のこもった扱いを受けた。例えば、工場に行くと、入り口で、大きな色紙にサインをした。結婚式のときに書くようなスタイルだが、1人1ページまるごと使う。私など、たいした身分でもないのだが、まるでひとかどの人物を受け入れるような扱いである。また、道中も、訪問場所ごとに、気の利いたお土産を頂戴した。気の利いた……と書くのは、持ち帰り用の手提げ袋に、「韓国製の和紙」でできたお土産袋を、日本人用にわざわざ選んで使っているということがわかるからである。
この謙虚さが、サムスンの進化にどうつながっているのだろうか。
少なくとも、二つの側面で大きな影響をもたらしているように見えた。一つは、「学習」である。自分たちは常に足りない存在だと考える。だから世の中からいろいろなことを学び、自分たちに貪欲に取り入れていくという姿勢がサムスンの文化にある。サムスンは求める人材像を四つ社員に示している。それは「創造人」「世界人」「社会人」、そして「学習人」である。
逆に、自分たちがすべてだと奢り、学習を放棄した瞬間、進化は止まり、後退の道を歩む。これは人類の歴史が証明している。
もう一つは、「協同」である。サムスンは協力企業との一体化を強く標榜している。自分たちは、協力企業から部品を調達して組み立てることで成り立っている会社であるから、協力企業の存在なくして、自分たちの競争力はあり得ないという考え方である。生かされて生きているという発想である。だから、協力企業の社長に対する扱いも非常に高くしようと考え、サムスンに来た際の駐車場の位置という細かい点から扱いを変えた。自分たちの存在を謙虚にとらえているからこそ出てくる発想である。自分たちの立場を逆手に取った非合理的な下請けいじめとは一線を画している。
一方、日本企業の近年の姿勢はいかがであったろうか。日本企業は確かによく他社事例を参考にしたがるし、勉強もする。新しいコンセプトや方法論を伝えるセミナーはいつも活況である。しかし、必ず出てくるセリフがある。「うちには合わない」「うちは特殊」である。日本アズNo.1と称したバブルの時代から根本的な精神性は何も変わっていない。奢りの姿勢である。素直さの欠如である。だから、勉強はすれども、結局はその考え方の否定的な点を見つけてきて、排除してしまう。そこに見られるのは、サムスンのような謙虚な姿勢から生まれる貪欲な学習姿勢ではなく、「手っ取り早くうまくやる方法がどこかにあるはずだとキョロキョロする」という安易な姿勢である。
協同に関してはどうだろうか。思想なき、やみくもな合理化は、結果として企業に何をもたらしたのであろうか。合理化という言葉を楯に、立場の差を利用した侮蔑的な行為を協力企業にとってきた会社はないだろうか。
謙虚さを忘れた奢りの姿勢は進化を止めるだけでなく、企業そのものを崩壊に向かわせる。三菱自動車の欠陥隠蔽問題が連日ニュースにとりあげられているが、これも奢りのなせる仕業だったのかもしれない。報道によると、不具合を感じて指摘する顧客に対して、「うちは何十年も車を作っているのだから」などの言葉が顧客接点の現場でも言われていたらしい。
奢りの姿勢は、「顧客が買ってくれて当たり前」という考え方の侵入を社員に許す。そうなると、「工夫をする」「気をつける」という行為に全身全霊を込めることがなくなっていく。その結果、気づかぬうちに顧客は自分のもとを離れていく。
サムスンを訪問して気づいたことがある。それは、サムスンが見せた謙虚な態度やおもてなしの姿勢、これらは彼らが日本に勉強をしに来たときに、日本企業から受けたおもてなしと、そのときの日本人の態度に感銘を受けて、それをそのまま実行しているに違いないということである。
つまり、日本企業は、お手本にされるほど印象的な「謙虚さ」をかつてはもっていたのであり、その謙虚である日本が成功することで、「謙虚さこそが実績=進化を生む」という理解を、お隣の国、韓国に伝えたものと思われる。
だからサムスンを訪れている間中、昔のよき日本企業を訪問しているような、どこか懐かしい感じを覚えた。
しかし、成功のせいで、日本企業は謙虚さを失い、奢りが生まれた。
奢りはすべての進歩を止める。奢りは少し油断すると、人間の弱い心に忍び込み、巣食おうとする。私の知るところでは、ユニクロを経営するファーストリテイリングの柳井会長は、奢りこそ諸悪の根源ととらえ、日々社内の奢りを戒める努力をしている。それくらいに奢りは手強い相手である。
それゆえ、この手強い相手に勝って、謙虚であり続けられる企業だけが、進化を手中にできるものと考える。
「実るほど頭をたれる稲穂かな」。このことわざの生まれた国の良さを、そしてこのことわざの意味合いを今一度、それこそ謙虚に見つめ直し、噛み締めるべきではなかろうか。
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